7月第1週
主人公の「猿渡」と怪奇小説家の「伯爵」が遭遇した奇怪な出来事を描くホラー短編集。というよりはタイトルに示されているようにまさに怪奇小説と言いたい。基本的には二人の食にまつわる珍道中エトセトラで、装丁から思い描いていたよりはずっと胡散臭さが強くてニヤニヤさせられた。しかしそこはそれ、面白うてやがて恐ろしきといった風情でしっかり怪奇幻想している。集中では「カルキノス」「ケルベロス」の並びが美味ありギャグありロマンスありで大変好みです。うっすらとカニバリズムが匂わされているのがまた美味しそうで怖いんですよね。(蟹→カニバリズムってことか。笑)
文庫版には「超鼠記」を追加収録。いつか読もう。
新聞連載をまとめた軽めのエッセイ。自分の子どもの頃を振り返ると、知らない道を行ったはずがいつのまにか知っている場所に出たりして、本書にあるように循環構造を基本にテリトリーを広げていった覚えがある。また、滑り台の遊び方の発展が、普通に滑る機能的段階、滑り方を工夫する技術的段階、ごっこ遊びの舞台にする社会的段階と進むのも、遊び空間の全体に適用できないだろうか。著者が提唱する6つの原空間(自然スペース、オープンスペース、道スペース、アナーキースペース、アジトスペース、遊具スペース)と合わせて考えてみたい。
「空地」「告解室にて」「黄色い壁紙」を再読。「告解室にて」は陰のある旅行記といった感じで愉しんだ。そしてオールタイムベストと言っても過言ではない「黄色い壁紙」。初読の時はなにがどうなっているのかわからない怖さがあったけど、あらためてじっくり読んだら洒落にならなかった。病気療養で転地した家にある黄色い壁紙の部屋で狂っていく女性の姿。鏡張りの部屋に閉じ込められたらこうもなるだろうか。
ちなみに表紙はセガンティーニの「悪しき母たち」ですよ。
http://misui.tumblr.com/post/290595954/1894
小説の読み方~感想が語れる着眼点~ (PHP新書)
posted with amazlet at 10.07.04
本書の実践編ではコミュニケーションの主題が多く取り上げられる。考えてみれば小説の読解は本とのコミュニケーションとも言えるので、その意味から基礎編を振り返ってみると、なるほどコミュニケーションツールを準備していたのかと腑に落ちた。さらに、小説家が自分(には限らないが)とのコミュニケーションを通して小説を書く、その小説を通して読者との間にコミュニケーションが成立する、ということが理解されれば、読みだけではなく書くことも含めた大きなネットワークが見えてくる。
「著者のモデル」と「読者のモデル」のすり合わせを「編集するモデル」と位置づけてこれを読書と捉える。加えて本書で新鮮だったのは、本の背後に「意味の市場」を想定して可視化しようという点。目次読書や本をノートと考えるのも可視化ではあるけれど、書棚や年表を利用してリンクを見えるようにするというのはさすがに念が入ってる。そのリンクの中に身を置けば必然的に多読になるだろうし、分野をばらけさせて読むのもモチベーションの維持とリンクの拡大を兼ねている。あと「全集読書は読書の頂点」。わかってはいても高い壁ですね。