8月第1週
百人一首―王朝人たちの名歌百選 (ビジュアル版日本の古典に親しむ (2))
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桂子さんシリーズの日常パートと言えそうな作品。交歓、つまり歓を交換するという意味で、桂子さんと周辺の人々が交歓するネットワークの模様が描かれる。夫を亡くした桂子さんが入江さんを得るまでの一年間の話であり、幻想味はほとんどなく、丁々発止の会話や機知に富んだ探り合いで愉しませる。空白の生じたネットワークに入江さんという怪物が接続されて、そこからさらにネットが豊かになる様から、出版の順はともかくとして、のちのちまでシリーズの中心になる二人の人物の起点とでも言うべきなのかも。
雲行きの怪しい世界情勢の下、海辺のある別荘地で開かれた上流階級の人々による一夏の饗宴(シュンポシオン)。80年代に描かれた21世紀ということで、今となっては古さを感じさせるところはあるものの、それによって浮世離れした風情が生まれているとも言える。とはいえ自分があまり関心を持てないこともあって文明・社会批評やセンチメンタルな作中小説には退屈さを覚えた。インテリジェンスあふれる交流や恋愛模様を楽しみつつ、退屈さも「込み」で懶惰な夏の空気に身を任せるという感じで。
短編集。表題作は夫と姑の間で立ち働く妻の視点で、どこにでもあるごく普通の家庭の話かと思い読み進めていくと、なにか夫の様子がおかしい。最初に感じた違和感が広がって、次第に不条理が日常を支配していく。他も同様で、惰性で続いている日常が徐々に変質し、しまいには自分や世界すらも曖昧になって現実のカテゴリーからはみ出すといった話が大半を占める。この移行がきわめて自然に進む。また語彙も描写も読者の生活感覚に直結しているものだけに、異変がストレートに認識に訴えかけてくる。一刻も油断できない非常に怖い本である。
十年やそこらで女房面するな。安斉先生の悪口をいうな。あの医者はわしのじいさんの代からなんだ、お前なんかにはわからん。また入院でもすれば看病をしなくていいと思っているんだろう。その留守に勝手なことをする気だくらいわかっているんだ。お前は黙っていわれたことだけしていればいいんだ。余分なことするな。どうしてテレビ消したんだ。
ありきたりな老人の愚痴が最後の一文で生活にがちりと接続される。こういう凄まじく巧みな仕掛けが無数にある。ただ最後のほうは工芸品を見ているような気分になった。
読者を誘いこむ冒頭の一文にも注目したい。
朝食の時、夫が「今年は枇杷はまだか」と言った。
はじめは「奉仕」だと思ったので玄関の戸をあけなかった。
まだ寝ない。
しっかりつかまえてうまいとこ飼い馴らしてやろうと思った。