9月第2週
承香殿の女御―復原された源氏物語の世界 (中公新書 25)
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「物語とはキャラクターである……少なくとも、キャラクターという観点から物語の構造と本質をよりよく見通し、その作成に役立てることは十分に可能である」。構造主義などの成果を援用してキャラクター類型から物語について考えていくのだけど、現実へコミットする視点を持っているために硬直化せず、非常に示唆的で「のびしろ」がある。類型同士は密接に関係しているのでひとつの類型から他の類型を読み直すこともでき……つまり最低でも7回は読めるってことです。類型の解説以外にも対談や付録がお得ですね。勉強させてもらいます。
著者のサイトに公開されているカット部分は「ストーリーは必要なのか?」というそもそも論や賀東招二氏の脚本家体験に触れていてこちらも勉強になります。ところでキャラクター類型の相関図(これすごいよくできてると思うんですが)はセフィロトの樹かなにかのパロディなのか。平沢進がこんな装置を叩いてるのを見た気がする。
十歳の頃からイタリアに憧れ、ついにイタリア人のもとに嫁いでかの地で二十年を過ごした人によるエッセー。ルーズでエネルギッシュで底抜けに陽気、そしてほのかに哀しみを秘めているというイタリアの人々の姿がまぶしく映る。いろいろと面白いエピソードが満載で、詐欺に遭ったと気付いて店に戻ると店が消えている、なんて少々話ができすぎているけれど、登場する人々の姿を見ていると本当なんだろうなあと思えてくる。まるでイタリア映画のような日常を知るにつけ、映画は日常に忠実だったのだという妙な感慨を持った。
幼少の頃から身の回りに音楽があったという人によるエッセー。ベートーヴェンを聴いて音楽の持つ危険な力に恐怖した少年は、後年、父を埋葬したあとの雪の風景にモーツァルトのアダージョが鳴り響くのを聴く。音楽を聴いて生きるとはそういうことなのか、と素養があるとはとてもいえない人間としては興味深く思いながら、ピアニストや指揮者や作曲家を語る文章を、詩を読むように楽しんだ。
古事記―天皇の世界の物語 (NHKブックス)
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黄泉神話において千引の石で行き来が途絶えた黄泉の国、スサノオが移り住んだ根の堅州国、海神の国。これらを死後・地下世界の違ったあらわれと考えるのではなく水平的な別個の国と考え、葦原中国との関係によってのみ、その中心世界を定位するものとする。同様に、古事記と日本書紀をまったく別の論理が働く別個の神話ととらえ、しかしどちらも天皇の正統性を根拠付ける点では同じであり、いわば天皇を多元的に定位すると考える。なかなかスリリングな考え方。
ルネサンスを思想と技術を中心に概観する。雑に読んでしまったがルネサンスがペストなどによるキリスト教世界の危機に瀕して花開いた文化だったということはよくわかった。ダンテ・ペトラルカ・ボッカッチョをはじめ、知るべき人や事柄がまだまだ無数にある。一筋縄ではいかないルネサンス文化をこれから徐々に見ていきたい。