8月第3週

安吾だけ。戦後の状況と合わせて読むなら「白痴」「堕落論」が重要と思うが、どうも自分はこの人と反りが合わないようで、特に楽しんで読んだのは「桜の森の満開の下」と「夜長姫と耳男」の伝奇作品だった。血なまぐさく美しい世界。こういうのならもっと読みたいな。
 
江戸川乱歩全集〈第3巻〉パノラマ島奇談 (1978年)
江戸川 乱歩
講談社
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「パノラマ島奇談」
ユートピアを夢想する人見広介は、己と瓜二つの富豪と入れ替わることで夢を叶えようとする。だが夫人はそれを見破ったようで…。墓場で入れ替わるシーンが少しよかったくらいで、パノラマ島の夢幻的な描写は今読むと眠気を誘う。知名度のわりには拍子抜けせざるを得なかった。これは乱歩作品に馴染んでからのほうが感じるものが多そうだ。
「鏡地獄」
鏡に狂った男の数奇な一生。正気から狂気の世界へ、その極点で球体の鏡などという奇妙なものをぶち上げる発想がすごい。愛すべき好短篇。
一寸法師
小林氏はある夜、街で奇妙な小人を見かける。どうやら小人はなんらかの事件に関わっているらしい。そうこうするうちに、さる令嬢の消失、バラバラ死体の謎が持ち上がる…。明智小五郎が登場する作品のひとつで、デパートのマネキンが死体と入れ替わっているところなんて少年探偵団シリーズを思い出してひどく懐かしかった。が、さすがに大人向けなので怪奇に加えて推理も手が込んでおり、二転三転する展開にはハラハラさせられっぱなし(当時は新聞連載)。少年探偵団のイメージしかなかった乱歩観が決定的に覆された。今ではいろいろと差し障りがあるだろうけど時代の徒花として鍾愛していきたい。
「木馬は廻る」
宇野浩二風の掌篇。ただやるせなくてノスタルジックで美しい。演歌っぽい。
「陰獣」
乱歩は「一寸法師」の出来が気に食わなかったそうで一年ほどの休筆期間に入った。本作はその復帰作として満を持して発表され、内容は、情緒的な作家の犯罪に理性的な作家が立ち向かうというものだ。犯人側にあからさまなセルフパロディを多用し、ある意味では乱歩自身の内面の葛藤を紙上に定着したといえる。そう考えればここで使われたトリックはとても納得できるし、結末も、苦味をともなうとはいえ己と和解したことを示すのではないだろうか。
「虫」
幼少の頃から厭人癖の強い柾木愛造は、長じて遺産を相続したのを幸いに引き篭もりの日々を送っていた。そこに、数少ない友人を通じてある人気女優が現れる。彼女は柾木の幼少時の憧れの的だった。その日から柾木の胸に、彼女への恋慕と殺意が湧き起こった…。主人公の厭人癖が微に入り細を穿って描写され、それが病を深めて異常性癖に変じていく。まことに慄然とさせられるが気持はわからんでもない。というかよくわかる。誰の胸にも巣食う猟奇への嗜好をあらわに見せてくれ、読む人が読めば落涙必至。自分もぐっときた。

 

『青白い炎』第一篇(その4)

わたしは親愛なる叔母のモードに育てられた。
風変わりな叔母は詩人であるとともに画家であり
グロテスクな成長と滅びのイメージが絡み合った
写実的な事物を好んでいた。
隣室の赤子の泣き声を聞きながら彼女が暮らした部屋は
そのまま手を加えずにおかれた。
そこに残るちょっとしたものが持ち主の人となりを表している。
珊瑚を含んだ凸レンズ製のペーパーウェイト
索引を開いたままの詩集(ムーン、ムーンライズ、ムーア人、モラル)
哀愁漂うギター、人の頭蓋骨
そして地方紙『スター』からの珍しい切り抜き
レッドソックス、チャップマンのホームランによって
 ヤンキースを5対4で破る」がドアに画鋲で留めてある。
 
わたしの神々は若くして死んだ。神を崇めることなど
下劣で、その根拠もあやふやに思えたのだ。
自由な人に神はいらない。だが、わたしは自由だったのか?
自然が我が身に分かちがたく結びついているのを、なんと豊かに感じていただろう。
わたしの子供っぽい舌はあの素晴らしいペーストの
なかば魚の、なかば蜂蜜の味を、なんと愛していたことだろう!
 
ごく幼い頃、わたしの絵本は
彩色した羊皮紙のように、わたしたちが住まう鳥籠を飾った。
藤色をした月の暈、血蜜柑色の太陽
アイリスの花輪、それとあの稀にしか起こらない
イリデュール現象――美しくもまた不思議なことに
山脈の澄んだ上空に
楕円形をしたオパール色の雲がひとつ浮かび
遠くの谷間にかかっていた雷雨の虹を
反射する――
そういったたいへん芸術的なものに囲まれて暮らしたのだ。