黒い鳥

 高原の保養施設にいる。数日の間、ここで学会が開かれ、研究者たちが研究やデータの発表を行う。とても行き来の不便なところで、朝夕に二度のバスが立ち寄る他に交通はない。自分は友人の連れとして施設の一室に滞在することになった。
 一日目、何事もなく和やかに過ぎる。研究者たちは会が引けたあとも熱っぽく語り合っていたし、自分のような部外者の人間を放っておいてくれる。一人で部屋に残って窓のむこうに広がる湖を眺めつつ、酒などちびりちびりとやっていた。湖の中央に浮かぶ島が、夕日に縁取られて黒々とその存在を誇示している。聞くところによると島には戦時中の遺構があるらしい。
 二日目に数人が施設から忽然と姿を消してしまった。しかもその中に学会の責任者がいたものだから、研究者たちは慌ててしまい、とりあえず今日のところは休会して様子を見ようということが決まった。およそ世間から隔絶されたこの場所でこのように人が消えてしまうのは不可解なことだった。
 三日目にはバスが来なかった。普段は冷静に物事に対処する研究者たちもさすがに落ち着いてはいられなかった。なぜか電話も通じなくなり、いよいよ陸の孤島じみてきた。そして昨日に続いて不明者の数も増えていた。書き置きも血痕も残さず次々に人がいなくなるのだ。
 自分はある異変に気付いた。湖の中央にある例の島の空に、大きな黒い鳥が何匹も飛んでいる。ぎゃあぎゃあとうるさく鳴いては、時折島に降りて何かを啄ばんでいる。双眼鏡で覗いてみると、いなくなった人々の体がばらばらになって転がっていた。鳥はその死体を啄ばんでいる。
 残った研究者たちにそれを伝えた。すると全員が荷物も持たずに施設を逃げ出してしまった。自分も負けじと後を追う。と、前方を逃げる彼らに巨大な黒い鳥が襲いかかる。鳥と見えたものは頭の部分だけが人間の女の姿をした怪物だった。
 必死で逃げた。脇目も振らず、ただ必死に。少しでも気を抜けば追いつかれてしまう。足がもつれて息が乱れる。喉が張りつく。すぐうしろを羽音が追いかけてくる……。もうこれ以上は走れないと判断し、最後にくるりと向き直った。鳥が恐ろしい形相で何かを言っているが構うことはない。ここから逃げる方法がひとつだけある。それをするまでだ──

 そこで目を覚ました。怪物から、いや、そもそも夢から逃亡したのだ。どんな悪夢を見ようとこの方法でうまくやれた。ぎりぎりまで引きつけて悪夢を置き去りにしてやればいい。今や悪夢は恐れるものではなくからかって楽しむものにすぎない。 
 早い鼓動を打つ胸を静め、悪夢の余韻を味わいながら、しかし鳥の最後の言葉が気になった。奴は奇妙な金属質の声でこう言った。
「おまえを必ず見つけて殺す」