各地の旅館建築を集めた写真集。古い旅館には建築家がいないことが多く、旅館の主人や棟梁の趣味、それに旅館になる前は建物が何に使われていたのかがストレートに反映される。ざっと並べるだけでも民家、別荘、寺社仏閣、
遊郭、酒屋など、はては
能舞台が移築されているところまである。地域色も出てバラエティ豊かで、京都を中心とした端整なしつらいもいいが地方の豪快さも楽しい。
多数の事例からケガレの諸相を見る。明快な解答を与えてくれる本ではないがおおまかに把握するには十分。ケガレは境界性の強い観念であり、死や誕生、時間的・空間的に境界の性格を持つものときわめて親和性が高い(が、複雑で多義的であるため一つの観念に単
純化してはならないことは再三強調される)。ケガレを境界属性として捉え、「境界的・両義的性格を持つ信仰の対象は、あたかも磁力を持つかのように他の両義性を引き付け、その両義的性格を強めている」と主張する。これはケガレだけではなく
儀礼の多義性を理解する上で卓見だと思われる。
うーん、タイトルに騙された。人柱やお歯黒などの風習が現代的な形で残る北海道で、人柱を職業とする青年が謎を解いていく。ファンタ
ジーだと思って読み始めたらミステリでまずがっくり。それならそれで、外国人の目に映るエキゾチックな日本のミステリとして楽しめばいいかと思えば、肝心の謎の部分のやっつけっぷりが鼻につく。探偵役の彼を形容するのに「透明」を連呼するのもやめてほしかったし、キャラが宗教じみててぞわぞわした。
「眼と現在」「死刑執行官」「わが本生譚の試み」など数篇、あと自伝は今でも読める。で、詩史的な評価は
北川透が詩人論にまとめてくれてはいるけど、やはりこれは若書き以外の何ものでもないなぁ。いきなりこの詩集を読まされたらきついだろう。
戦後水害史、治水、利水を通して湿潤な風土で生きることのアンビバレンツがよく理解される。戦後水害の最大の要因は都市化であり、それに加えて水に対する人間の意識の変化も直截に関わってくる(水害史を辿ることは水害意識の変化を辿ることに等しい)。技術の過信という意味では水害時の「電話をする以外、どうしてよいかわからず、電話に最後までしがみついていた人も居る」というエピソードがあまりに象徴的に映った。
再読。落ちぶれた詩人が探偵になってチューハイを飲んだりモツを食べたりしながら不思議な事件を解決する話。解決もなにも失せ物探しやお使いが主で、そこに幽霊の助手や居候男や魔法使いの先生といった個性的な面々が絡んでとぼけた空気を醸し出している。あの世とこの世、過去と現在の境すらゆるゆるに溶け出して、実はその核には過ぎ去ったものへの憧憬があるのがなんともいえない。気負ったとこがなくて好きな作品です。
日本人の宗教観では神も仏も人間と同一の地平にあり、その大元には自然観が宗教観に昇華したところから
アニミズムがある。ってそんなのはわかりきってるよなぁ……。途中から判で押したような日本・自然礼賛のお説教になった。つまらない。
イデオロギーではなく文化面での対立・均質化が進んだ現代においては、積極的に異文化を意識し発見して理解することが必要とされる。それには文化の象徴(
儀礼などその文化特有な現象)を読み解くことが有効であり、また自文化を含めたすべての文化を<混成文化>として捉えることがそれぞれの文化の理解につながる。
ステレオタイプな文化理解や偏狭な
ナショナリズムを諌める点、<
ディアスポラ>など境界に生きる人々の存在、境界の必要性。これら
文化人類学的な知見から得られるものは多い。
ちょっと専門性が高いがまあ水文学・古水文学がどういったものかはわかった。地下水の流向や流速を調べる「トレーサー(追跡子)」の考え方は他の分野でも使えそうですね。