10月第5週

ハーンの虚像と実像を明らかにし、その著作の持つ意味を検討する。日本人と外国人は根本的な部分で異なるという「人種的決定論者」であったハーンは、日本人の異質性をことさらに強調して海外に紹介した。日本に幻滅して理想を追い求めたのは著作から知れるのだけど、それならばたしかに作品の嘘と本当を了解しておかなければ弊害があるだろう。またハーンにとどまらず、異文化を都合よく解釈する態度は往々にして見かける。この点については自他問わず注意深くありたい。
ちなみにこの本、ハーン神話がどれほど嘘まみれなのかということにかなりの紙幅を割いています。ハーン好きには厳しいかも。自分はハーンの思い込みの激しさや奥深い人柄に親近感を覚えましたが。
 
井上ひさしと141人の仲間たちの作文教室 (新潮文庫)
井上 ひさし
新潮社
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わりと雑談まじりの軽めの読み物だった。「自分にしか書けないことを、だれにでもわかる文章で書く」、これを井上ひさしが言うんだから本当に頷かされる。具体的なところで特に参考になったのは、接続語・接続詞・接続助詞を使いすぎないこと。それと「は」と「が」の使い方。責任を持って日本語を使っていきたいものです。
 
快読シェイクスピア (新潮文庫)
河合 隼雄 松岡 和子
新潮社
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心理学者と翻訳者によるシェイクスピアをテーマにした対談集。河合先生との対談となると時々カウンセリングにも接近しつつ、翻訳者の方の知識・情熱が深くて、二人の力量が釣り合った良い対談になっている。心理学を用いて読むとこんなふうになりますよという格好のお手本。「夏の夜の夢」は読んでみよう。
 深海の熱水噴出に生息し「共生バクテリアを介したイオウ食性」を持つチューブワームを中心に深海研究を紹介する。これはとても刺激的で面白かった。チューブワームのみを見ても、生命の起源から地球外生物の可能性まで壮大なスケールで展望していて、生命観を揺さぶられるような興奮がある。光合成起点の食物連鎖から外れてるってだけでもちょっとしたブレイクスルーだった。付録の潜水船小史も素晴らしい。おすすめ。
 
表徴の帝国 (ちくま学芸文庫)
ロラン バルト
筑摩書房
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日本旅行を種にしたロラン・バルト流の論考もしくは小説。変に真面目なだけにおかしみも生まれているんだけど、はっとする指摘も随所にある。個人的には河合隼雄の「中空構造」を思い浮かべながら読んだ。普通にどこに行って何を食べたとかも書いてくれたらよかったのにな。

あるいは、この大都会の深いところへはいってゆけば、というのは、建造物のちょっとした入口をはいると、たちまち地下となり、バーや商店が網の目のようにひろがっているのだから。地上のその小さな扉を押してしまえば、商売と娯楽との華麗で濃密な黒いインドがそこに出現する。

こういうのがもっと読みたかったですよ。
蛇足ながら指摘すると、p139の「手紙を書こうとしている女性」は、おそらく石山寺の源氏の間にある紫式部の人形。バルトにとっては「いっさいの典拠が失われているために」エクリチュールそのものと映るものが、実は人形(しかも日本的な文脈を膨大に持つ紫式部)であるということが、なにか象徴的に感じられる。まあバルトにとっては知ったこっちゃないだろうけど、その目に「表徴の帝国」と映った日本は、ただそれだけではないということも確か。
 

新釈 遠野物語 (新潮文庫)
井上 ひさし
新潮社
売り上げランキング: 19640
「山神山人のこの手のはなしは、平地人の腹の皮をすこしはよじらせる働きをするだろう」。山中の療養所に勤務する主人公は、昼休みに決まってトランペットを吹く老人に出会う。老人は遠野近郷で体験した不思議な話を語ってくれるのだが……。というわけで遠野物語をリスペクトした九話を収める。不気味さと艶っぽさが渾然となった話ばかりで、話が終わるごとに後味の悪さが残ってなんとなく釈然としない。一体この老人は何者なんだろうか、と気になっていると最後はきれいにまとめてくれた。清々しい読後感。「冷し馬」「水面の影」が良い。
 
狸ビール (講談社文庫)
伊藤 礼
講談社
売り上げランキング: 277807
三十年近く鉄砲撃ちをしていたという英文学者による狩猟エッセイ。タイトルは、ビールと一緒に狸を食べたら、その後二週間は体が狸臭くなったことに由来する。犬のことや鳥のこと、鉄砲や狩猟仲間のこと……もはや日本の山野は狩猟をする場ではないとして狩猟文化を振り返る筆致は、ユーモアをまじえながらほろ苦い。さらっと軽い文章なのにしみじみさせられる乙なエッセイだった。

鴨ははるか遠くに去ってしまった。あとには鴨がいた景色と硝煙の匂いだけがのこっていた。この景色のなかをこういう具合に鴨は飛んだのだ、と私は脳味噌のなかで反芻した。まだうっとりとしていた。