11月第2週

読み逃してたので「百物語」だけ。盛り上がりに欠ける怪談会の記録。淡々と当日の様子が書かれているだけで、これといった怪異も事件も起こらない。だが傍観者に徹する鴎外が会の主催者に己と同種の傍観者の姿を認めたことで、あたかも鏡を覗きこむようにその透徹した観察の目が読者に意識される。何の変哲もない怪談会は鴎外の目で切り取られ、文章の中に永久に息づいている。古写真を見てそこに写っている人々が今では全員この世にないと気づいたときの恐ろしさ。慄然とする。
 
偏愛文学館 (講談社文庫)
倉橋 由美子
講談社
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書評集。しっかりと自分を持った上で軽やかに文学に遊ぶ姿勢が好ましい。いくつかの評では倉橋さんの作品がフラッシュバックすることもあって微笑ましく思った。吉田健一がほんとに好きだったんですね。
 
文章読本 (新潮文庫)
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中村 真一郎
新潮社
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近代日本文学史ですね。文章の読み書きがメインではなく明治から今日にいたるまでの口語文の歩みを整理するのが目的。鴎外・漱石に加えて露伴もすごいというのを今更ながら知った。それと荷風と谷崎は一度真剣に読まないとな。
 
心の扉を開く
心の扉を開く
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河合 隼雄
岩波書店
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ブックガイドであるとともに深層心理学の考え方を紹介するもので、深層心理学から見ればこういう解釈ができますよ、こういう風に考えて生きていくと楽ですよ、と砕けた調子で教えてくれる。たとえば「自我はエス(無意識)の侵入を受けて」を噛み砕いて言うと「私は"それ"にやられましてんわ」になるらしい。なんというか僕の中で河合先生は神妙に話を聞くべき人の一人になりつつある。
 いわゆる多読を実践している人で「質より量」のスタイル。最先端の出版物に過去の知の総体があらわれるなんてのはもっともだし、フィクションよりリアルタイムのノンフィクションを重視するのも、まだ見ぬものを見たいという旺盛な知的好奇心に突き動かされてのことなのだろう。気持ちはわかるけど体力・予算が要りそうで真似はできないな。あとこの人といい松岡正剛といい多読の人は知の系統樹の発想があって、やはり整理するには便利な考え方なのかなと思った。後半の読書日記はざっと目を通して気になる本をメモ。

真に見るということは、自分自身を見ることによって、自己と他者の関わりを見ようとすることにあるので、その観点を失ったままで、他者と他者の関係を見ようと思っても、見たつもりで何も見てないことにしかならないのではないか。

雑に読んでしまったのでちょうど戒めになる文章を引用しておく。きちんと自己に引きつけて読書しなければ。
 

日本に来たラフカディオ・ハーンに続いて日本から出た人物を、と思い選んでみた。十代から二十代にかけての記述が多く、勉強して採集して酒を飲んで喧嘩して勉強勉強ずっと勉強、というのはちょっと退屈に感じた。研究者に華美を求めるのはどうかと思うが物足りない。後半生のことなどもう少し詳しく知りたい。
 
本当はちがうんだ日記 (集英社文庫)
穂村 弘
集英社
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エッセイは何に反応してどう書くのかがポイントだと思う。本書の場合、著者は自分が感じる現実との齟齬を基本に据え、疎外感や現実の破れ目の物事を主に書いている。これは定型・非定型や破調と言ってしまえばいかにも歌人の特徴なのかもしれない。ただ、そういった破れ目の物事は必然的に(秩序に対する)脅威をともなっているもので、語り口はおもしろおかしいとしても、破れ目に落ちこんだ人生の恐ろしさを見せられるようで怖かった。少なくとも私は笑って流せない。

最近いちばんこわかったのは、携帯電話の留守録音に入っていたメッセージである。ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああとその人は云っていた。