10月第5週

挾み撃ち (講談社文芸文庫)
後藤 明生
講談社
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(読んだのは別の版)
ある四十男が「とつぜん」思い出した外套の思い出を頼りに、来し方をたどり直して自己を探求する魂の旅……になるはずが、道中でくり広げられるのはなんとも胡乱な独白の数々である。ロシア文学を中心とした文学談義や満州の思い出など、ところどころ思わせぶりなフックはありながらも、最後まで読めばこれは一冊使った肩透かしで、自己を掘り下げるタイプの文学作品に対する見事なアンチテーゼになっている。まあ「釣りでした」と言ってくれるだけ親切というか。宇野浩二「蔵の中」と比較して読みたい。
 
熱帯龍魚 / 清野雅巳
詩集。著者ご本人より拝受した。ことさら特別な詩語を使うわけではなく、地に足の着いた言葉が着実に選ばれており、しっかりと現実と切り結んでいる感じがある。自分と向き合うことと風景を描くことがテーマだそうで、俳句の切れにも似た言語感覚が鮮烈だった。ご本人によれば「半径三メートル以内を書くことで現代の神話が立ち上がってくる」とのこと。夢ばかり見ている自分には含蓄のある言葉だ。
 
七つの夜 (岩波文庫)
七つの夜 (岩波文庫)
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J.L.ボルヘス
岩波書店
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講演録。神曲、悪夢、千一夜物語、仏教、詩、カバラ、盲目の七つのテーマについて語っている。小説とはまた違った語り口で読みやすい。「世界は幻であり夢である」というボルヘスの世界観と仏教のなじみっぷりに驚きつつ、審美的な姿勢、また、盲目についての捉え方など、落ち着きのあるポジティブさが胸にしみる。この人がいてくれてよかったとしみじみ思う。
magister dixit

作家あるいは人は誰でも、自分の身に起きることはすべて道具であると思わなければなりません。あらゆるものはすべて目的があって与えられているのです。(…)彼に起きることの一切は、屈辱や恥ずかしさ、不運を含め、すべて粘土や自分の芸術の材料として与えられたのです。それを利用しなければなりません。

我が家には十七巻から成るバートン版があります。それをすべて読み通せないであろうことは分かっているのですが、その中でいくつもの夜が私を待っていることも分かっている。私の人生は不幸であるかもしれない、けれど家にはその十七巻本がある。東洋で作られた『千一夜物語』という一種の永遠が存在するのです。

 

評論集。表題の論考はレヴィ=ストロースやプロップの物語論をまとめたもので、物語を言語学に引きつけて考えていく。しかし本書でとりわけ重要なのは「作者の死」「作品からテクストへ」の二つだろう。作品と作者の同一視に対して、「いや、作品は人間じゃなくて記号が集まったもの(テクスト)だろ」という冷静なツッコミ。そして作者の枠にとどまらない読みを促し、テクストとは何かを論じる。テクストは言語活動の中にあり、決して図書館の書架にあるのではない。それは読みの行為の中に生じる「場」、引用と参照と反響で織り成された場である。

人生は常に書物を模倣するだけだが、この書物そのものは記号の織物であって、無限に見失われた模倣にほかならないのである。

フーコー曰く、

空想的なものは、書物とランプの間に棲まう。幻想的なものはもはや心の中に宿るのではなく、自然の突飛な出来事の中にあるのでもない。それは知の正確さの中から汲みあげられてくるのであり、その富は文書の中で読まれるのを待っているのである。夢みるためには眼を閉じていてはならない。読むことである。