はじめに 一

 さて何かを書き始める前に、まずは「何を書くのか」という問いを立て、それには自分の立ち位置を確認することによって答えたいと思う。
 そもそもこのダイアリーを始めた理由は何だったか? 身も蓋もない言い方をすれば「文章力の向上を期して」である。日記にかこつけて日常的に文章を書けば自然と経験が蓄積され、人並みの文章を、いや人より達意の文章を書けるようになるのでは、と軽薄にも思ったのだ。だがこの考えには他人行儀で人任せな感じがある。実際に文章を書くのは自分であり自分こそが傷口を晒すのだという自覚がなかった。結果、何の準備もせず油断していたところに、文章を書く怖さ、継続して書き続ける困難さが襲いかかり、やがて頓挫に頓挫を繰り返し、だらだらと無益な日々が続いた。三日坊主に次ぐ三日坊主である。
 しかし日記を書き続ければ文章がうまくなるという魔法は今でも信じている。泉鏡花の談話「文章上達の順序」から引く。

 普通何人にも必要なのは、実用的の文章である。実用的の文章さえ思ふ通りに書けるやうになつたら、更に修辞の巧を尽す可き側の文章を書くことは、そんなに難しいことはないと言つてもいい。初めから美文や小説などを書くよりも、思ふことをそのまま述べる実用上の文章から入つて貰ひたい。
 それには日記をつけることと、手紙を書くことをお勧めする。

 そして「日記をつけること」と「手紙を書くこと」は文章の修練になるのみならず、自分の思ったことを書き表すのに有益であるという。手紙を書くことはひとまず措いて、日記を書くことが文章上達の近道であるとは、文豪鏡花が言うのだから間違いはないだろう。
 というわけでこれで日記を書くことには決まった。「(文章力向上のために)日記を書く」。ここがスタートだ。次はもっと焦点を狭めて「どのような日記を書くのか」とともに、三日坊主対策などについても考えていきたい。