魚の行商

 いつものように薄暗い部屋で本に顔を埋めていると、窓の外をパープープーとあの喇叭の音が遠くから近くへ、そしてまた遠くへと沖へ波が引くごとくに通り過ぎていった。近頃このあたりに商いの足を伸ばしてきた豆腐売りであるらしい。らしい、というのはそれが豆腐売りであることを家族から聞き知っただけで、実際この目で豆腐を売り歩く様子を見たわけではないからだ。
 よくよく考えてみれば、冬は石焼き芋、夏はアイスキャンディーと、決して多くはないながら季節ごとにポイントを押さえた移動販売の呼び声が、時々思い出したように家の周囲を経巡っている。欲しいものはスーパーでほとんど手に入るようになった昨今、そういった移動販売の声に誘われて買い物をすることはめっきりなくなってしまったが、まだまだ根強いファンがいるのか、しぶとく生き残り続けている。ラーメンの屋台なども時折うろついていて、昔はよく空のどんぶりを持って追いかけたものだ。
 もう十五年以上も前のこと、母方の実家には魚の行商がよく来ていた。リヤカーに氷と魚を積み、それを押して神社前から商店街とは反対の方向へ、道路沿いに魚を商って歩いていた。たしかあの頃はすでに近場にスーパーがあったので、特に懇意の家々を相手に商売をしていたのだと思う。実家もそのうちのひとつで、行商と祖母とは売り手と買い手の関係というよりもどうやら友人同士であったらしく、祖母が亡くなったときには葬式に顔を出してくれた。
 ひとつ印象に残っていることがある。魚の行商、というのは祖母と歳の変わらないお婆ちゃんだったのだけど、彼女には左手首から先がなかった。手をまじまじと見て確認したわけではないので聞いた話を覚えているだけなのだが、自分は子供心にその欠損を深刻に受け止めて、結果として行商それ自体がなにか特別なものとして記憶に残っている。祖母とのやりとりの中で、おやつ代わりに魚の骨をぱりぱりに揚げて塩を振りかけたものを包んでくれた手は、どちらの手だったろうか。
 左手で本のページを繰る。遠くでかすかに喇叭の音がパープープーと鳴る。こちらの花からあちらの花へと移動する蝶や蜂、いや珊瑚礁を行き来する魚かもしれない。今ではあの魚の行商のリヤカーを押す姿を見ることはできないけれど、僕がその存在を覚えているように、豆腐売りも誰かの記憶に残るといいと思っている。