中国の白い骨

 まだ五月だというのに存外に気温が高く、前日の雨による湿気でことさら暑く感じられた。窓を開けるだけでは十分ではないので扇風機を回して部屋にこもる暑気を逃がし、その風を受けながら両側に積み重ねた本の間でうんうんと唸る姿は、おそらく誰が見ても暑苦しいこと甚だしい。
 ついに暑さ──というより進まない仕事──に耐え切れず机から離れ、軒庇に遮られて日陰になった窓際にどかりと腰を下ろす。一服しようと灰皿を探してあたりを見回すと、薄汚れた段ボール箱が隅にうずくまるようにして置かれているのが目に入った。なかば開いた蓋からくすんだ本の背が覗いているのに興味を引かれ、休憩はそっちのけでぐいと引き寄せる。
 ベルジャエフ『ロシヤ思想史』、J・アイザック『現代英詩の背景』、季刊詩誌『無限』の目ぼしい号が数冊、文学全集の端本……ろくに読みもしないのによくもまあ集めたものだと呆れもし感心もする、ほとんど役に立たない書籍の類がわさわさと出てくる。その中に手のひらより幾分大きいサイズの薄墨色の本を見つけた。酒井啓徳『中国の白い骨』、一九六一年に私家版で出版された一冊である。
 これは大陸で生まれ育った酒井の半自伝的な小説であり、のちに満州事変によって牡丹江省と呼ばれる地域に入植した中国人青年が、満州国の崩壊でソ連軍と関東軍の戦いの最前線と化した同地を逃れ、中国各地を転々としながら故郷の村を目指すという筋立てである。逃亡の物語に似つかわしくない、なんとはなしに呑気なエッセイ風の語り口で、そこに悲壮さや悲哀の色は薄い。入植地から故郷までのいわば復路の道筋を辿ることで、昔と今を対比させて中国の現状を浮き彫りにしつつ、己のアイデンティティをも模索していく形だ。そして辿り着いた故郷の生家で見つけたのは、庭の片隅の両親兄弟の墓と、その墓を守る美しい女だった。主人公は女を妻として二度と故郷を離れぬことを誓う。
 書名にもある「白い骨」とは、各地で見かけた戦死者の骨のことであり、また故郷の土に埋もれた家族の骨であり、中国という巨大な人体の中で骨として生きんと欲する主人公自身のことでもある。語り口の軽さのわりには随分と土臭い結論が印象的だった。
 と、ぼんやりとページを眺めていると、開け放った窓から小さな白い蝶が室内に迷いこんできた。顔を上げてその軌跡を追いかけてみれば、扇風機の前で気流に巻かれてふわりと上に舞い上がり、しまいには風を逃れて扇風機の頭に止まった。いや、止まったと見えたのは一瞬で、あっという間に回転に引きずりこまれた蝶は、音も立てずにファンに張りついた。慌てて電源を切ったが蝶は無残にも潰れてしまい、雪のように白い翅がはらはらと床に落ちた。