3月第4週

ギリシア神話

ギリシア神話

ギリシア神話をまとめてきちんと読んだのは初めてです。いや面白かった。石井桃子さんの語り口も良い。
 
集落への旅 (岩波新書)

集落への旅 (岩波新書)

世界各地の集落を実見して文化の諸相から新たな「世界風景」の形成を試みる。「まさに問われているのは構想力、想像力である」という言葉通り、風景から文化を読み取って構成する眼力と知性の鋭さには舌を巻いた。旅のはじめ、キリスト教典型集落に中央(権威)に通じる求心的構造を見出し、「中心」の概念をひとつの基準にすれば、続く集落では早速そこから外れた様態が現れる。そのくりかえし再検討を迫られる過程が最高にスリリングで面白い。しかも紀行文的に読ませるところもあるのが心憎いです。記憶が薄れた頃にまた再読したい一冊。

本書で示された集落の要素の「一覧表」と「配列表」はまるで単語と文法のようで、風景にも言語のようなシンタックスがあるとすると、まさに「読み物としての風景」が現れる。

象徴的な空間が、直感的な意味の了解を訴えるなら、知力ある空間は、意味の系列の解読可能性を訴える。象徴的な空間が、意味の総体を背景に、個人の想像力を喚起するなら、解読可能性としての空間は、現場の、そこに内在する事情への共感と同化、つきることない物語の読み手を待っている。前者は、制度を超越することによって制度に寄与し、後者は制度に即している。

あと個人的に気になったところ。

つまり、中心概念は、すべてが円とその中心のような構造にあるのではない。多点からなる<中心>、線状の<中心>、円環状の<中心>、分岐した<中心>などがありうるのだ。

私たち建築表現者は、支配的な波によって周縁に追いやられている。ひとつの戦略として、建築の表現、活動を文明の領域から文化の領域へ移してしまうこと、これによって中心と周縁の逆転をはかることが、もくろまれる。しかし、支配的な波はこの転位をも見抜いて、文化の周縁にやがて私たちを追いやるだろう。このとき、なお周縁が中心を規定することを主張するだけの表現力をそなえておかねばならないのだ。

 

ことばと発達 (岩波新書 黄版 289)

ことばと発達 (岩波新書 黄版 289)

子どものことばを二つの段階に分けて展望し、その重層的な発達が必要であるとします。ひとつは親しい人とのコミュニケーションの中で育まれる文脈に依存したことば。もうひとつは現前する文脈から独立した(受け手を想定して設計された)ことば。後者は学校教育以降で得られるものですね。この二つを経てことばを獲得していくのですが、近年は生活に根ざしたことばは空洞化し、その上に機械的にことばが導入されるためにアンバランスな状態にあると言えます。子どもだけではなく自分のことばの状況と照らし合わせると大変得るところが多かったです。