4月第2週

ケルトの神話―女神と英雄と妖精と (ちくま文庫)

ケルトの神話―女神と英雄と妖精と (ちくま文庫)

はっきりとした筋がないのでなかなか頭に残りにくい。集めた伝承をそのまま並べた感じ。とはいえ人や神々の過剰な猛々しさは印象深かった。
 
異人論序説 (ちくま学芸文庫)

異人論序説 (ちくま学芸文庫)

「<異人>とはいずれ、共同体とその外部との<交通>をめぐる物語である」。内部と外部の相補的な関係のヴァリアントをたどり、そこに立ち現れる異人というものがどのような存在なのかを示す。これはずいぶんと射程の広い論考。天皇や賤民などの異人の系譜からリアルな手応えを与えてくれるのもいいし、なにより異人を語るために「内と外」の関係性をしっかり見据えているのがいい。異人論の序説・出発点としてはこれ以上は望めないのではと思わせる良著でした。いやー面白かった。いろんなキーワードが拾えてありがたい。
個人的な関心では「異人としての女性」は「異人としての異性」にランクアップした。
 
異人論―民俗社会の心性 (ちくま学芸文庫)

異人論―民俗社会の心性 (ちくま学芸文庫)

先に山口昌男の著作を読んでいたため、その影響下にある本書を読むのは具体的な部分の確認になった。「異人」を民俗社会が所有する説明体系と位置づけて「異人殺し」から内・外の排除の心性を読み取るというのも面白いけど、フォークロアを読む態度や民俗学への人類学的な提言を通して、むしろテキスト論として得るものが多い。氏が遠回しに指摘する「信じたいものを信じる」という心性は村落の中だけではなく民俗学や自分の中にもある。それをどう剥ぎ取るか。

民俗社会は、表層の現実に意味を賦与していくときには「零度に近いテキスト」を産出するが、深層の現実に意味を賦与していくときは両義的テキストを利用する。

象徴的意味は、私たち研究者が民俗的コンテキストを無視して賦与すべきものではなく、象徴性を帯びたと思われる事物が置かれているコンテキストのなかからこそ取り出してくるべきものなのである。

これに関しては先日読んだ『集落への旅』に符合する記述があった。

出産の場を覗き見た男(夫)がそこに認めたものは、女(妻)が<文化>に属するものではなく、<自然>に属するものであるということをはっきりと語り示す姿であった。

気になっていた「異人としての女性」のテーマについては把握しているところからそれほど出なかった。というか拍子抜けなのでもう少し発展した形のものがあれば読みたい。

最後に、真偽はいまなお定かではないが、異人をめぐるフォークロアの犠牲になった人たちに、本書を慎んで捧げさせていただく。

この言葉にこめられたものを思う。
 

ねぎ坊主畑の妖精たちの物語 (fukkan.com)

ねぎ坊主畑の妖精たちの物語 (fukkan.com)

天沢退二郎の小説を読むのは初めてなのだけど、詩のときよりもある程度話の筋がはっきりしている分たちが悪い。あくまでも瞬間的に浮かんでは消える詩作品に対して、小説は、身のかわしようがないどころか問答無用で読者をテキストの沼に引きずりこもうとする。切り結ぼうとしても物語が説明されることはないし、その空転したところに夢魔が襲いかかってきます。で、この短編集はシリーズのサイドストーリーを含んでいるらしいのですが、これがシリーズ化(しかも児童文学で)されているのがとんでもないなぁと。今後読むのが楽しみですよ。

少年がそのとき口にした名前を私はここに記すことができない。もし書き記せば、この物語は消滅し、読んでいるあなたがたも消滅するだろう。