6月第3週

初めてのレヴィ=ストロース。終始振り回されっぱなしだったがどういうものなのかは確認できた。南北アメリカの神話を渉猟し、土器つくりに自然から文化への移行を見ることで、地下・地上・天上の宇宙観や壺と身体の弁証法などの神話的思考をたどっていく。最後にはフロイト精神分析批判も。がつがつと知識を得ようとするよりは神話に浸るようにして読むほうがよさげ。入門書でも読んで腰をすえて取り組もう。

身体の内に入れられた糞と相同の粘土は、食物を入れる壺を作るのに用いられ、食物はまた、身体が排泄によって糞を入れるものであることを止めるまで、身体の内に入れられるのである。

これなんかは言葉遊びにしか見えないけど、神話を引き合いに出されるとなるほどと思わされる。
そして構造主義についてのコメント。

人は私を、心的生活を抽象的なゲームに、体温を備えた人間の魂を、減菌した定式に代置するといって非難するかもしれない。私は欲動、情念、感情のざわめきの存在を否定はしない。ただ、こうしたほとばしる諸力に首位を認めないのだ。それは心的制約条件によってすでに構成され組み立てられた舞台の上に踊り出てくる。(…) 感情性の溢出に対しては、つねに原初的な図式がある形式を与える。きわめて自然発生的な躍動のなかで、感情性は障害物のあいだを縫って通路を開こうとするが、その障害物は同時に標識でもあり、抵抗物となりながらまた可能な道筋を画定し、その数を限定し、さらに停留地点を強制するのである。

 

様々な症例の不思議さもさることながら、五感と脳で認識するしかない世界の儚さをあらためて思い知らされた。60年代を生き続ける「最後のヒッピー」、生まれ育った村に取り憑かれた画家の「夢の風景」が特に切ない。もっとも、実際に病を生きている人がいる以上、そんな文学的な捉え方だけではいけないのだろうけれど。

この年の末、ふつうはよく眠るグレッグが眠れなくなり、夜中に起き上がっては何時間も部屋のなかを探りまわるようになった。どうしたのかと聞かれると、「なにかをなくしたんだ。なにかを探しているんだ」と言うのだが、何をなくしたのか、なにを探しているのかは説明できなかった。

 

平気でうそをつく人たち―虚偽と邪悪の心理学
M.スコット ペック
草思社
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嘘や虚偽というよりは「邪悪性」がメインテーマ。邪悪性とは「誤った完全性自己像を防衛または保全する目的で、他者を破壊する政治能力を行使すること」だとして、過度なナルシシズムを持つ人間は自分の誤りを決して認めようとせず、それどころか嘘をついたり他人に責任転嫁(スケープゴート)してまでうわべを取り繕うという。ナルシシズムと怠惰が組み合わさったものが邪悪性とされ、本書ではそれを個人から国家・ナショナリズムにまで拡大して論じている。事例も主旨も非常に面白い。キリスト教的な見方に注意しながら読み込みたい。
 ささやかで繊細な物語。表題作はアクセント的な位置づけの怖い話なんだけど、これを子ども時代に読んで傷にできた人は幸せだな。