7月第2週

これも全集から読んだ。作品をまたいで登場する女の影が、最後には鏡花の追憶に通じる。いやこの選は素晴らしいんじゃないだろうか。

「高桟敷」
主人公は長屋街の散策の途中、桟敷を宙に吊ったような不思議な造りの建物を見つける。その窓に女の姿を見かけて…。何の気なしの散策のつもりがいつのまにか異界に入り込んでしまい、奇怪な住人や出来事に出会って喫驚するという一篇。散りばめられた諸々のものの関連性がはっきりとせず、宙ぶらりんな居心地の悪さを残す。なかなかに不吉な佳篇である。
「浅茅生」
夏のある夜、月の冴え冴えと輝く丑三つ時に、主人公は空き家であるはずの隣家に女の姿を認める。彼女と屋根越しに言葉を交わすうちに、話は次第に怪異を語るものになっていく…。夏の夜の幻想的な描写が美しく、前半は特にロマンティックな風情を感じた。後半はある種の死神譚になるのだけど、死神の造形が妙に凝っていて、なぜわざわざそんなことになってるの、とわけがわからなくて怖い。
「幻往来」
友人に無理やりに連れ込まれた遊郭で、主人公は意中の女性にそっくりの遊女を見かける。肺病を病んで回復の望みがない彼女のために、彼はかつて呪法を試みたことがあった…。一目惚れの恋に突き動かされるままに呪法を試み、その帰結として怪異が現れる。結末は怖いといえば怖いのだが、理屈や生死を超えて心は通じたのではないかと思わせる部分があり、後にはただ切なさが残った。
「紫障子」
芸妓を伴にした旅の途中、様々な怪異が現れる。それには何か仔細があるようで…。やっていることは美人を連れてののんべんだらりとした旅で、構成も結末も、冷静に考えると決していいものとはいえない。しかしながら、美人と朝寝朝酒して合間に怪異に出会うなんて自堕落で楽しいものだ。広い座敷に膳だけが並んでいる光景、碁石で歯を叩く二人の舞妓、雨の庭の亭から手招きする女など、いくつかのシーンが後を引く。
「尼ケ紅」
日露戦争を戦った軍人が、神経衰弱の療養のさなか、病身に効くというマムシの生肝を飲み込む。ところが効くどころではなくて七転八倒の苦しみを味わうことになる…。鏡花は潔癖症の性向とは裏腹に好んで気持ちの悪いものを書きたがるが、本作のそれはことさらに不快感が強かった。生肝が胃に留まって吐きたくても吐けない苦しさ、手首まで突っ込んでも吐けないとは壮絶。この不快感をベースに、幻想や戦慄、哄笑、皮肉と、様々な要素が中篇ほどの長さにこめられており、まことに眩暈がするようだった。これはすごい作品。
「菊あわせ」
幼なじみと再会した画工が語る、幼き日から現在まで折々現れる謎の女についての怪談。鏡花は同じネタをアレンジして使い回すことがよくあって、作品をいくつも読んでいくと、それぞれがある出来事の別の表れとして立ち上がってくる。本作に登場する怪もそのひとつ。誰もいない畳敷きの大広間に、着物が無数に陰干ししてある。そこに女の霊が通う。
「霰ふる」
語り手の前に折々姿を現す二人連れの女性について、初めてその二人を見た幼少の頃の思い出を綴る一篇。徹夜の子供同士が語る害のない怪談に、ごくささやかな怪異が立ち交じる。ふるさとと亡き母への慕情。
「甲乙」
「霰ふる」の続編といっていい作品で、今度は大人になって例の二人連れと遭遇した話が語られる。逗子辺への旅の様子は楽しいし、そこで遭遇する怪異も、蚊帳の無数の破れ目すべてが人間の目に変わるといったものでなかなか凄味がある。結末は「天守物語」を思わせた。
「黒壁」
初期の未定稿。丑の刻参りに遭遇する話。
「遺稿」
鏡花の死後に発見されたという作品。そのためか、ルビがなくて少々読み心地が違った。内容はわりと他愛のないもので、夜道で女とすれ違うだけだが、初期の「黒壁」を想起させる丑の刻参りの話が登場しており、晩年に至るまで幻想を持続させた点が驚異といえる。徐々に遠ざかっていくような終わり方がしんみりさせる。
「幼い頃の記憶」
幼少の記憶に残るある女について。本当に見たのかもさだかでない人との再会を確信するあたり、鏡花の幻を求め続ける姿勢を窺わせる。個人的にもぐっときた。