8月第3週
- 「パノラマ島奇談」
- ユートピアを夢想する人見広介は、己と瓜二つの富豪と入れ替わることで夢を叶えようとする。だが夫人はそれを見破ったようで…。墓場で入れ替わるシーンが少しよかったくらいで、パノラマ島の夢幻的な描写は今読むと眠気を誘う。知名度のわりには拍子抜けせざるを得なかった。これは乱歩作品に馴染んでからのほうが感じるものが多そうだ。
- 「鏡地獄」
- 鏡に狂った男の数奇な一生。正気から狂気の世界へ、その極点で球体の鏡などという奇妙なものをぶち上げる発想がすごい。愛すべき好短篇。
- 「一寸法師」
- 小林氏はある夜、街で奇妙な小人を見かける。どうやら小人はなんらかの事件に関わっているらしい。そうこうするうちに、さる令嬢の消失、バラバラ死体の謎が持ち上がる…。明智小五郎が登場する作品のひとつで、デパートのマネキンが死体と入れ替わっているところなんて少年探偵団シリーズを思い出してひどく懐かしかった。が、さすがに大人向けなので怪奇に加えて推理も手が込んでおり、二転三転する展開にはハラハラさせられっぱなし(当時は新聞連載)。少年探偵団のイメージしかなかった乱歩観が決定的に覆された。今ではいろいろと差し障りがあるだろうけど時代の徒花として鍾愛していきたい。
- 「木馬は廻る」
- 宇野浩二風の掌篇。ただやるせなくてノスタルジックで美しい。演歌っぽい。
- 「陰獣」
- 乱歩は「一寸法師」の出来が気に食わなかったそうで一年ほどの休筆期間に入った。本作はその復帰作として満を持して発表され、内容は、情緒的な作家の犯罪に理性的な作家が立ち向かうというものだ。犯人側にあからさまなセルフパロディを多用し、ある意味では乱歩自身の内面の葛藤を紙上に定着したといえる。そう考えればここで使われたトリックはとても納得できるし、結末も、苦味をともなうとはいえ己と和解したことを示すのではないだろうか。
- 「虫」
- 幼少の頃から厭人癖の強い柾木愛造は、長じて遺産を相続したのを幸いに引き篭もりの日々を送っていた。そこに、数少ない友人を通じてある人気女優が現れる。彼女は柾木の幼少時の憧れの的だった。その日から柾木の胸に、彼女への恋慕と殺意が湧き起こった…。主人公の厭人癖が微に入り細を穿って描写され、それが病を深めて異常性癖に変じていく。まことに慄然とさせられるが気持はわからんでもない。というかよくわかる。誰の胸にも巣食う猟奇への嗜好をあらわに見せてくれ、読む人が読めば落涙必至。自分もぐっときた。
8月第2週
終盤、デルスウは預けられていたインク瓶をなくしてしまう。それについて、人の口から出て空中に広がって消える言葉はともかく、紙にのって百年以上も生きる瓶詰めの言葉(インクのこと)は扱いかねると弁明している。そんな文字以前のアニミスティックな世界を、著者が書き留めなければ永遠に失われていたであろうデルスウの姿を通して垣間見ることの不思議に思いを馳せた。
特に印象に残ったのは「米市」。年越しの米俵を担いで小袖を羽織った男は、高貴な姫を背負っていると間違えられて若者たちにちょっかいを出されるが、揉み合いの末、ただの米俵と見破られてしまう。興冷めして去っていく若者を尻目に、男は米俵を誇らしげに抱え持つ。……周囲からは取るに足りないものと思われても、それを大切に思う人間にしてみれば高貴な姫に等しい。ささやかな幸福と哀感が切々と伝わってくる。ほろりとした。
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今週の「青白い炎」はお休みします。
『青白い炎』第一篇(その3)
家自体はさほど変わっていない。翼棟をひとつ
改築しただけだ。その翼棟にはサンルームがあり
見晴らし窓のそばには、意匠を凝らした椅子が備え付けてある。
身動きの取れぬ風見鶏に代わり、今は
大きなペーパークリップ状のテレビアンテナが光っていて
無邪気な、薄絹のようなモノマネドリが
彼女の耳目に触れた物事のすべてを語りに、しばしば訪れた。
チッポー、チッポーという鳴き声から
トゥーウィー、トゥーウィーという澄んだ声に変わり、それから
カム・ヒア、カム・ヒア、カム・ヒルルル……と金切り声になる。
尾を高く上げて振ったり、そっと上に飛び跳ねたり
優雅に翼をばたつかせていたかと思うと、突然(トゥーウィー!と鳴いて)
彼女の止まり木に――真新しいテレビアンテナに――戻っていくのだ。
両親が死んだとき、わたしはまだ幼かった。
二人とも鳥類学者だった。わたしは
彼らを呼び起こそうと数知れぬ努力を重ねた。
だから今では千人もの両親たちに囲まれている。が、残念なことに
彼らは、彼ら自身の光輝に溶けて薄れてしまう。
しかしある言葉、ことあるごとに見たり聞いたりするある言葉
たとえば「心臓病」はいつでも父への思いを胸に呼び覚ますし
「膵臓癌」は母への思いを鮮明にさせる。
黙示録を経験した人――つまりわたしは、冷たい巣を持っていた。
ここはわたしの寝室だったが、今は客室として取ってある。
カナダ人の女中に押し込まれたこの部屋で
階下のざわめきに耳を傾けながら、皆のためによくお祈りをした。
叔父さんや叔母さん、女中や、教皇に会ったことがあるという
女中の姪のアデール、本の中で出会った人々、そして神が
いつまでも変わらず、健やかでありますように。
『青白い炎』第一篇(その2)
あらゆる色彩がわたしを愉しませた。灰色でさえも。
わたしの眼はまさしく写真機のようにはたらいたのだ。
心のおもむくままに眺めたり、あるいは、興奮を抑えつつ
無心に見つめるときにはいつでも
視界に入るものは何であれ――
室内の風景、ヒッコリーの葉、ほっそりと凍りついた
雫の短剣――
さまざまなものが、瞼の奥に写し取られた。
それらはそこに一、二時間もとどまったが
とどまりつづけているあいだ、わたしに必要なのは
葉を、室内の風景を、軒下の氷柱を、よみがえらせるために
ただ眼を閉じることだった。
それにしてもなぜだろう。湖畔道路を学校へと向かうときには
湖から、われらが学校の正面玄関を見分けられた。
けれども今は、一本の木にすら遮られていないのに
どんなに目を凝らしても、屋根さえ見ることがかなわない。
おそらく空間にわずかな狂いが生じ
それによって引き起こされた歪みや偏りのせいで
ゴールズワースとワーズミス――隣家と学校――の間の四角い緑地に建つ
木造の家や貧弱な眺めに、取って代わられたのだろう。
わたしはヒッコリーの若木を持っていた。
深い翡翠色をした豊かな葉と暗がり、貧弱な
虫食いだらけの幹――そのすべてが好ましく感じられた。
夕日が黒い木膚を褐色に染め上げ、周囲には
ほどけた花輪さながらに、葉叢の影が落ちたものだった。
それが今やどっしりと、荒々しく育った。そう、申し分なく成長したのだ。
白い蝶がラベンダーの茂みをひらひらと飛び
その木陰をくぐり抜けて、小さな娘のまぼろしのぶらんこを
穏やかに、やさしく揺らしている。