7月第5週
『青白い炎』第一篇(その1)
ナボコフ『青白い炎』の詩篇を訳していきます。過去に詩を訳した経験がなく、語学力も雀の涙なので、かなり苦しいものになると思いますが、自分が味わうことを第一義にやっていきます。アドバイス等ありましたらtwitterなどで伝えていただけると幸いです(微調整は継続的にやっていきます)。
底本は『筑摩世界文学大系(81) ボルヘス・ナボコフ集』とこちらのサイト。また、前掲書の富士川義之氏の訳業を参考にしています。
……
わたしは影だった、窓ガラスに映じた偽の青空に
殺された連雀の影だった。
わたしは灰色の羽毛の染みだった――しかもわたしは
反射した空を、生きて飛びつづけた。
また部屋の中からも、二重に映して見たものだ
わたし自身を、ランプを、皿に盛った林檎を。
夜の帳を取り払い、暗いガラスに
家具がみな草上にあるように飾ろう
ああ、なんと喜ばしいことだろう
降り積もった雪が芝生を覆い、そしてその上に
椅子とベッドがすっくと立つのは
出て行こう、あの水晶の国へ!
降る雪をふたたび拾い上げよ。
ゆっくりとぶざまに舞い落ちる、不揃いでくすんだ雪のひとひらを
日の青白さ、あやふやな光につつまれた抽象的な落葉松
それらを背にしたどんよりと暗い白色を。
それから夜が見る者と風景を結びつけるにつれて
徐々に濃くなっていく二重の青色を。
朝になると、霜のダイヤモンドが
驚きの声を上げるのを聞く。足に拍車をつけた誰が
空白のページのような道に、跡をつけていったのか?
左から右へと冬の記号を読み解くのだ。
ぽつ、ぽつ、歩みを刻む矢印。もう一度。
ぽつ、ぽつ、歩みを刻む矢印……雉子の足跡!
首飾りをかけたおまえ、気高き雷鳥よ
おまえは我が家の裏手に朋輩を見つけた。
来し方を指し示す矢印のような足跡を持つ彼を
『シャーロック・ホームズ』で見かけなかったか?
7月第4週
7月第3週
- 「スペードの女王」
- 骨牌勝負の秘法をめぐる物語。秘法を知る老婦人に取り入ろうと主人公ゲルマンは画策する。やがて娘を通じてそのチャンスが訪れ…。ゲルマンの性格は後年のロシア文学に影響が大きいとのこと。それと一点、亡霊出現の前後に誰かが窓を覗くのがなんともいえず不気味で良かった。
- 「その一発」
- 軍隊生活のさなか、駐屯地である射撃の名手と知り合う。聞けば彼には決闘にまつわる過去があるようで…。名誉に受けた疵は名誉によって贖われる。その復讐心を長年持続させたというのが怪物的で心寒い。個人的にはゲルマンよりこちらのシルヴィオのほうに惹かれた。
- 「吹雪」
- ほとんど駆け落ち同然で結婚に臨んだ男女だが、式の直前、吹雪に道を阻まれてしまう…。運命のすれ違いが最後には正されるのだけど、よくよく考えると取り返しがつかないし、果たしてこの二人はうまくやっていけるのだろうか、と変に気になる。
- 「葬儀屋」
- 葬儀屋が不注意に口にした言葉で身の毛がよだつ出来事が生じる。グロテスクと笑いが混じりあった素朴な話。なんとなく民話の匂いが漂う。
- 「駅長」
- ここでいう駅とは宿場のようなもので、語り手が昔立ち寄った駅が後年落ちぶれた理由が語られる。作中の放蕩息子のエピソードと娘が出奔した(かどわかされた)顛末が並ぶことで、苦い結末が引き立つ。あと怒りのあまり投げ捨てた紙幣を取りに帰るのが情けなくて泣ける。しかもすでに拾われてどうにもならない。なにもかもが戻ってこない。
- 「百姓令嬢」
- 家同士が犬猿の仲にある二人の恋の話。といえばロミオとジュリエットだが、こちらは機知に富んだ策略を交えてユーモラスに進む。ギャップ萌えがここまで威力を発揮するとは。また、ロシアの上流階級の家同士の交流も垣間見えて面白い。『ベールキン物語』がこの話で締められたおかげで幸福な読後感が残る。
- 「子守りの殿」
- 戦乱の世にあって何かを愛さずにはいられなかった男たちの姿を描く一篇。犬、子供、菊花と、それぞれ愛するものは違えど通じ合う共感の心に、読んでいるこちらまで目が潤む。自分が読んできた中でもこれほどまで直截に心に響く物語はないかもしれない。
7月第2週
- 「高桟敷」
- 主人公は長屋街の散策の途中、桟敷を宙に吊ったような不思議な造りの建物を見つける。その窓に女の姿を見かけて…。何の気なしの散策のつもりがいつのまにか異界に入り込んでしまい、奇怪な住人や出来事に出会って喫驚するという一篇。散りばめられた諸々のものの関連性がはっきりとせず、宙ぶらりんな居心地の悪さを残す。なかなかに不吉な佳篇である。
- 「浅茅生」
- 夏のある夜、月の冴え冴えと輝く丑三つ時に、主人公は空き家であるはずの隣家に女の姿を認める。彼女と屋根越しに言葉を交わすうちに、話は次第に怪異を語るものになっていく…。夏の夜の幻想的な描写が美しく、前半は特にロマンティックな風情を感じた。後半はある種の死神譚になるのだけど、死神の造形が妙に凝っていて、なぜわざわざそんなことになってるの、とわけがわからなくて怖い。
- 「幻往来」
- 友人に無理やりに連れ込まれた遊郭で、主人公は意中の女性にそっくりの遊女を見かける。肺病を病んで回復の望みがない彼女のために、彼はかつて呪法を試みたことがあった…。一目惚れの恋に突き動かされるままに呪法を試み、その帰結として怪異が現れる。結末は怖いといえば怖いのだが、理屈や生死を超えて心は通じたのではないかと思わせる部分があり、後にはただ切なさが残った。
- 「紫障子」
- 芸妓を伴にした旅の途中、様々な怪異が現れる。それには何か仔細があるようで…。やっていることは美人を連れてののんべんだらりとした旅で、構成も結末も、冷静に考えると決していいものとはいえない。しかしながら、美人と朝寝朝酒して合間に怪異に出会うなんて自堕落で楽しいものだ。広い座敷に膳だけが並んでいる光景、碁石で歯を叩く二人の舞妓、雨の庭の亭から手招きする女など、いくつかのシーンが後を引く。
- 「尼ケ紅」
- 日露戦争を戦った軍人が、神経衰弱の療養のさなか、病身に効くというマムシの生肝を飲み込む。ところが効くどころではなくて七転八倒の苦しみを味わうことになる…。鏡花は潔癖症の性向とは裏腹に好んで気持ちの悪いものを書きたがるが、本作のそれはことさらに不快感が強かった。生肝が胃に留まって吐きたくても吐けない苦しさ、手首まで突っ込んでも吐けないとは壮絶。この不快感をベースに、幻想や戦慄、哄笑、皮肉と、様々な要素が中篇ほどの長さにこめられており、まことに眩暈がするようだった。これはすごい作品。
- 「菊あわせ」
- 幼なじみと再会した画工が語る、幼き日から現在まで折々現れる謎の女についての怪談。鏡花は同じネタをアレンジして使い回すことがよくあって、作品をいくつも読んでいくと、それぞれがある出来事の別の表れとして立ち上がってくる。本作に登場する怪もそのひとつ。誰もいない畳敷きの大広間に、着物が無数に陰干ししてある。そこに女の霊が通う。
- 「霰ふる」
- 語り手の前に折々姿を現す二人連れの女性について、初めてその二人を見た幼少の頃の思い出を綴る一篇。徹夜の子供同士が語る害のない怪談に、ごくささやかな怪異が立ち交じる。ふるさとと亡き母への慕情。
- 「甲乙」
- 「霰ふる」の続編といっていい作品で、今度は大人になって例の二人連れと遭遇した話が語られる。逗子辺への旅の様子は楽しいし、そこで遭遇する怪異も、蚊帳の無数の破れ目すべてが人間の目に変わるといったものでなかなか凄味がある。結末は「天守物語」を思わせた。
- 「黒壁」
- 初期の未定稿。丑の刻参りに遭遇する話。
- 「遺稿」
- 鏡花の死後に発見されたという作品。そのためか、ルビがなくて少々読み心地が違った。内容はわりと他愛のないもので、夜道で女とすれ違うだけだが、初期の「黒壁」を想起させる丑の刻参りの話が登場しており、晩年に至るまで幻想を持続させた点が驚異といえる。徐々に遠ざかっていくような終わり方がしんみりさせる。
- 「幼い頃の記憶」
- 幼少の記憶に残るある女について。本当に見たのかもさだかでない人との再会を確信するあたり、鏡花の幻を求め続ける姿勢を窺わせる。個人的にもぐっときた。
7月第1週
黄昏に物憂く流れる河、船べりまで水に浸かって一見静止しているような艀、対岸の藪、葡萄畑の繊細な陰翳、防砂壁のくっきりした斜め線、濃灰色の粘板岩の岩塊、先史時代の秘境に吸いこまれていきそうな峡谷、私の眼はそれらに吸い寄せられて離れませんでした。
6月第4週
- 「おばけずきのいわれ少々と処女作」
- 鏡花信ずるところの「超自然力」について。鏡花の基本姿勢を知る上で必読のテキスト。
- 「夜釣」
- 釣り好きの夫が夜釣りに出かけたまま帰ってこない。女房子供が案じていると、あるものが家に現れる…。百物語にでもありそうなあっさりした怪談。語り口の巧さが光る。
- 「通い路」
- 自殺するために伊豆に来たと言いつつまったく深刻さのない三人の男。彼らの逗留する宿に、これも自殺しに来たのであろうと思われる女が現れる。色めき立つ男たちだが、ある日、夜になっても女が宿に戻らなくて…。男連中のひたすらに脳天気な様子とこの世ならぬ美人の対比。あるいは美しい水死体とその醜く膨れた足など、呑気なムードの中に不気味さが見え隠れする。
- 「鎧」
- 思い上がった若者が手痛いしっぺ返しを食う二つのエピソード。土地の言い伝えに遊び半分で手を出したところ、本物の霊異が現れて鼻っ柱を折られる。
- 「五本松」
- 金沢の魔所・五本松の怪異。現在は眺望の良さから観光スポットになっているとのこと。
- 「怪談女の輪」
- オーソドックスな怪談。絵的にインパクトがある。
- 「傘」
- 金沢への里帰りを描いた紀行風の一篇。夫婦揃って雷を恐れる様子や、田舎と都会では傘の持ち方が違うといった細かな部分が楽しい。が、結末がオーバーで少し面食らった。
- 「露宿」「十六夜」「間引菜」
- 関東大震災の体験を綴ったエッセイ。特に重要なのは「露宿」で、特異な状況下でも崩れない幻視の姿勢が窺われる。まさに観音力と鬼神力。他、デマに対して冷静に処するところなども貴重な証言である。
- 「くさびら」
- きのこについて。畳の縁に沿ってきのこが生えるなんて、今ではそうそう見れそうにない。
- 「春着」
- 紅葉門下のあれこれを綴っている。青春時代の思い出といった風で微笑ましい。怪談も少しある。
- 「雛がたり」
- 言わずと知れた絶品。歌のような文章がたまらない。
- 「城崎を憶う」
- 旅の思い出を綴ったあと、彼の地は罹災して瓦礫の山になったという結びが切ない。普通の紀行文だが面白いトリックがあった。
- 「木菟俗見」
- ミミズクへの思いの丈を綴っている。あまり印象に残らなかった。これも後半は紀行文。
- 「黒壁」
- 丑の刻参りに遭遇した話。初期の未定稿とのこと。
- 「妖怪年代記」
- 主人公が寄宿した塾には三つの血塗られた伝説が伝わっていた。彼は伝説の正体を見極めようと行動するが、実際に怪異が現れて…。これは素晴らしく面白かった。仰々しい怪談にわくわくさせられるし、吹き出すほど酷いオチも逆に愛しく感じる。鏡花の稚気が見えるよう。もっと読まれてほしい。→青空文庫
- 「百物語」
- 句会の一幕。化物を句に読み込んでいるうちに参加者一同怯えだす。
- 「百物語」(「雑句帖」中)
- 「黒壁」の文章の再利用。ただし自己反省的な一文がある。
- 「赤インキ物語」
- 凝った文体でよくわからなかった。
- 「春狐談」「一寸怪」
- 奇妙な味のエッセイ。ちょっと不思議な話を集めた感じ。ほっとする。
- 「『新選怪談集』序」「『怪談会』序」「妖怪画展覧会告條」
- しかつめらしい中にもユーモアを忘れないのが鏡花らしい。
- 「除虫菊」(「身延の鶯」作中作)
- 本編との関わりは措いて、これだけ読んでも大層面白かった。なぜか運が傾いてきた作家の日々を綴ったもので、おそらく鏡花自身の体験を基にしているのだろうけど、出版社に原稿を突き返されたり安く買い叩かれたり、はたまた妙に胡乱な怪談会に出席したり、とぼけた味わいがなんともいえず良い。かと思えば最後に『草迷宮』を思わせる展開もあってほろりとさせられる。こういうのをずっと読んでいたい。
- 「柳のおりゅうに就て」
- 自作を演じる役者へのアドバイス。化物を演じるといってオーバーにすれば滑稽になるとの由。
- 「たそがれの味」
- 夜でも昼でもない黄昏の時間、その一種微妙な世界を書きたいとのこと。また、そういった中間の世界はあらゆる物事の上に存するらしい。
- 「怪異と表現法」
- 不思議を書くにも伏線を張るなりなんなりして用意を怠らないように。あまり突拍子がないものは凄味が薄れる。
- 「事実と着想」
- 事実に固着しすぎては着想が浮かばない、事実そのものからはある程度距離を保つようにとの由。これには深く頷く。
- 「旧文学と怪談」
- 古今著聞集、宇治拾遺物語、今昔物語、雨月物語が好みとのこと。理に落ちたような作や翻案物は好みではないようだ。
- 「古典趣味の行事―七夕祭と盆の印象―」
- 趣がある行事っていいよね、と。